2018年はヌーヴェル・ヴァーグの映画をすべて観てしまおう
フランス映画における「ヌーヴェル・ヴァーグ」って何だっけ?2018年はヌーヴェル・ヴァーグの映画をすべて観てしまおう。
2018年ももう半月過ぎてしまいましたが、今更ながら今年の目標についてちょっと書いておこうと思います。40代になってからというもの肉体的にも精神的にも年齢を重ねたなぁと日々感じる事が多いのですが、そんな中でいちばん強く思うのが“やりたい事があればやってしまおう”ということなんです。たとえば映画もそのひとつで、若い頃は観たい映画があっても、古い映画なんかは上映している劇場と期間が限定される上にDVDも廃盤だったりで、プレミア価格にとても手が出ず「またいつか」と諦めていましたが、この年になると何が何でも観てやろうと思いはじめるんです。だってここで見逃したら死ぬまで観ることがないかもしれないじゃないですか。とにかく“やりたい”と思った事を後回しにする時間がなくなりはじめた今、観たかった映画はこの機会に観てしまおうと思うわけです。残りの人生について考えはじめる40代こそ第二の青春の始まりなのかも知れません。
話がチョットそれましたが、それでいちばんに思い浮かんだのがいわゆる「ヌーヴェル・ヴァーグの映画」なんです。我が青春の1990年代にはこの「ヌーヴェル・ヴァーグの映画」を含む60年代カルチャーが再燃し、“お洒落な映画”として崇拝されたものです。だって三度のメシよりパリが好きな“Olive世代”ですもの。やはり今でも非常にときめくキーワードです。
では「ヌーヴェル・ヴァーグ」ってそもそも何でしょう。それについて書かれた本から抜粋させていただきますと、フランス映画における「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは以下の通りです。
ヌーヴェル・ヴァーグとは
ジャン=リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」(1960)より
フランスの国家的映画政策の変わった57年以後、それまでの画一的な商業的映画体制とは異なる制作方法や、ある種の対抗文化的発想の党派的な20代から30代前半の新世代の監督による商業劇映画デビュー、およびそれに続く映画作りの運動を指す。
出典/「ヌーヴェル・ヴァーグの時代」紀伊國屋映画叢書
ということですが…もう少し噛み砕くと、
従来の従弟制度的な撮影所での助監督等の下積み経験なしに映画鑑賞から演出の手法を学びデビューした若い監督たちとその初期作品。つまり映画オタクの若者たちが(先輩方の良き所を踏まえつつ)自由な発想と手法で撮った新しい映画というところでしょうか。
特徴としてはロケ撮影、同時録音、即興演出などの共通点が挙げられますが、これらは特徴というより低予算での映画製作に伴い発生した結果の一致であって、敢えてその手法を使ったのではないのかも知れません。むしろ苦肉の策だった監督が多いのではないかと思います。
具体的には映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の批評家出身の監督であるクロード・シャブロル/フランソワ・トリュフォー/ジャン=リュック・ゴダール/ジャック・リヴェット/エリック・ロメールなど“青年トルコ党”とか“カイエ派または右岸派”と呼ばれる面々と、モンパルナス界隈で集っていたジャック・ドゥミ/アニエス・ヴァルダ/アラン・レネなど“左岸派”と呼ばれる監督たちとその初期作品。他にもルイ・マルやジャック・ロジエ、さらにはロジェ・ヴァディム/ジャン=ピエール・メルヴィルを含める場合もあるそうですが、狭義では「カイエ」出身の5人の監督(シャブロル/トリュフォー/ゴダール/リヴェット/ロメール)とその長編第一作と初期監督作を指すそうです。
参考文献
さて「ヌーヴェル・ヴァーグ」の解説についてはこのくらいにしておきます。
そんな訳で観たことのないヌーヴェル・ヴァーグ作品がまだまだあるので、2018年前半はまずこれを可能な限り観てしまいたいと思います。さらには今まで観たことのあるヌーヴェル・ヴァーグ作品についても観なおし、納得のいくまで「ヌーヴェル・ヴァーグの映画」について考えてみたいなぁと思います。
では実際に何を観るかをリストアップしていきたいと思いますが、それはまた次回にキチンと書かせていただきます。→ヌーヴェル・ヴァーグの映画50本
あとヌーヴェル・ヴァーグ以外で2018年にやってしまいたい事ですが、中途半端になっていた植草甚一スクラップ・ブックの読破と、昨年に続き「007」とスパイ映画の研究と若尾文子さんをはじめとする大映映画の鑑賞。その他60年代の映画全般と60年代のファッションについても書いていきたいと思っていますし、さらには音楽についてもゆっくり掘り下げていこうと思いますので、皆さまどうぞ本年もよろしくお願い致します。