赤線地帯
こんばんは。
今夜は「赤線地帯」(1956)を観たいと思います。
この映画は、「女性映画の巨匠」と呼ばれたという溝口健二監督の遺作となった作品であり、時代劇が有名な溝口作品には数少ない現代劇になっております。
溝口健二監督と言えば、フランス、ヌーヴェル・ヴァーグの多くの監督たちに多大な影響を与えた映画監督であり、特にジャン=リュック・ゴダール監督は、この溝口健二を敬愛していたと言われております。
それでは作品情報をどうぞ。
作品情報
赤線地帯にあるサロン「夢の里」では、父の保釈金のために働くやすみ、失業中の夫をかかえたハナエ、元は黒人兵のオンリーだったミッキーら、女たちはそれぞれにたくましく生きていた。そんな折、国会には売春禁止法案が上提され、法案が通れば娼婦は監獄へ入れられるという話が持ち上がり…。
出演■京マチ子
若尾文子
木暮実千代
三益愛子
沢村貞子
監督■溝口健二
脚本■成澤昌茂(芝木好子の短編小説「洲崎の女」を下に脚色)
撮影■宮川一夫
1956年3月18日公開
感想・レビュー
久しぶりに観ましたが、ストーリーやシーンを案外よく覚えていました。それにしてもさすがの仕上がりですね。ストーリーもしっかりしていますし、何人かの女性についてそれぞれのエピソードを盛り込んだわりに、うまくまとまっていて無駄がないです。
それぞれの事情
国会で売春禁止法が審議される中、売春宿「サロン夢の里」のおかみがやきもきしながら警官と話しをしているところから話しは始まります。身売りをしている女たちは、こたつに入って他人事のように傍観しているのですが、この辺りからすでに女たちの複雑な心境は描かれています。売春禁止法が可決されれば、職なしになってしまうという不安と、もう身体を売らなくてもいいという気持ちが入り混じっているのですが、どこかで、どっちに転がろうがどうでもいいといった諦めも感じられます。
そんな事を気にも留めず、とにかく金を稼ぐことだけに専念するやすみ(若尾文子)は、ひいきの客から小遣いをもらい、待たせていた別の客からも、作り話で金を引き出そうとしています。そこへ家出娘で神戸のズベ公ミッキー(京マチ子)が新入りで入ってくるのですが、ミッキーは人一倍垢抜けていて、周囲を驚かせます。客引きをしているところへ、死別した夫の田舎へに預けていた息子が尋ねてきてしまい、思わず隠れてしまうゆめ子(三益愛子)や、病弱の夫と乳飲み子を抱え、その日暮らしのハナエに、嫁に行く日を心待ちにしているより江と、それぞれが事情を抱えながらも、それなりに割り切って働いています。
つらい状況に追い込まれながらも
父親への反抗心でこの仕事に就いたミッキー以外の女たちは、金のために身体を売ることになったのですが、客の取れない女たちは、身体を売ってもなお貧しい暮らしをしなければならず、苦しい日々を送っています。ハナエは金がなくて子どものミルク代もままならず、夫の薬を買ってやる事もできません。より江はついに、「夢の里」を逃げ出し、許婚の元へ行きますが、うまくいかず戻ってきてしまいます。ゆめ子は、息子に客引きの姿を見られ嫌われてしまい、やすみは騙した男に殺されそうになります。それぞれが、暗くハードな状況に追い込まれながらも、仲間たちと支え合い、何とかして乗り越えていこうと必死に立ち向かいます。ストーリーとしては、悲劇も多く含まれていますが、こういった女たちの強さも描いていく事で、これからの彼女たちの人生の希望が少しだけ感じられ、観ていて絶望感が少なくなります。
意外な結末
初めて観たときは、意外な結末と思ったのですが、今回よくよく観てみたところ、しっかり伏線がはってありましたね。ひとつ残念なのは、結局、勝ち組と負け組みの真っ二つに分かれてしまったという点ですね。でも人生ってこういうものなんですよね。きっと。
ひとりごと
売春宿をモチーフにした映画ですので、それなりに物語があるのはまぁ当たり前で、ストーリーとしては広げやすいテーマだと思うのですが、売春禁止法が可決されるか否かという設定を絡めながら、女たちやサロンの主人たちの迷いや不安を取り入れ、ちょうどいいバランスでテンポよく作られていて、さすがだなぁと思いました。ラストシーンにあのシーンをもってきたということは、この映画は、身体を売る女たちの絶望を描いているのではなく、希望を描いているのだと私は信じたいですね。
つまり、同じ状況にありながらも、悲劇で終わる場合もあれば、そうでない場合もあるわけで、女はとにかくタフでなければいけないということを教えてくれるすばらしい映画だと、私は思うのです。
あと、個人的にはこの映画の京マチ子さんのキレっぷりが最高に好きです。もちろん大好きな若尾さんもハマリ役で素敵です。それからハナエ役の木暮実千代さんもすばらしいですし、浦辺粂子さんや、川口浩さんの実の母である三益愛子さんなどにも注目していただけると、おもしろいかと思います。
それではまた。
おやすみなさい。
『芸娼妓解放令』 1872年10月9日、および「前借金無効の司法省達」に依り、前借金で縛られた年季奉公人である遊女たちは妓楼から解放された.
この時、女性たちの自立を助けるために、女工場と呼ばれる場所を作って、彼女たちに読み書き、和裁などを教えました.
『売春防止法』のこの映画の当時でも、『日本パラダイス』だったと思いますが、東京ではミシン(洋裁)を教える施設が描かれています.
息子がお店へ会いに来たが、ユメ子は会うのを躊躇った.
『背広の一着も作ってやらなくちゃ』、息子が返った後、ユメ子はこう言って、もう一仕事頑張ろうと、店の外に出て客引きを始めたのだが、その姿を物陰から見ていた息子は、泣きじゃくって帰って行った.
息子のために頑張って仕事をしようとする母親の姿は間違っていないはずだが、けれども母親が売春婦をしているという事実は、年頃の子供にとって許容できない出来事だった.
さて、売春宿の主人の言葉、正しいように思えるけれど、本当に正しいかどうか?
あるいは、言っていることが正しくても、売春婦の上前をはねる商売を、正しい仕事と言えるのか?
こう考えると、彼の言葉を訂正する必要があるのが分ります.
『野党の奴等、売春婦は日本の恥だと言いやがる』
->『売春をしなければ生きて行くことが出来ない人間が居ることは、日本の恥である』
『俺達は、国の代わりに社会事業をやっているんだ』
->『国が弱者のために、きちんと社会事業をやれ』